武器を持たず、殴られても殴り返さない。それでも一歩も引かない──。インドを独立へ導いたマハトマ・ガンディーの生涯です。この記事では、暴力を使わずに不正に立ち向かう「非暴力」という方法を考えます。
- 1917 命をかけた伝令
- 西部戦線異状なし
- ダンケルク
- シンドラーのリスト
- 硫黄島からの手紙
- ガンジー(この記事)
- ブリッジ・オブ・スパイ
- ホテル・ルワンダ
ここまでの特集では、戦争の悲惨さを見てきました。では、争いや不正に対して、暴力ではない方法で立ち向かうことはできるのでしょうか。
➡ ガンディーの答えは「非暴力・不服従」でした。それは「何もしない」ことではなく、とても勇気のいる「行動」でした。
当時のインドは、イギリスの植民地でした。インドの人々は、自分たちの国のことを自分たちで決めることができませんでした。
- 🚂 1893年・南アフリカ若い弁護士ガンディーは、肌の色を理由に列車から降ろされる差別を受け、差別と戦う活動を始めます。
- 🧂 1930年・塩の行進イギリスが塩の製造と販売を独占し、税をかけていたことに抗議し、海岸まで長い距離を歩いて自分たちで塩をつくりました。
- 🇮🇳 1947年・独立インドは独立を果たしますが、インドとパキスタンに分かれ、宗教の対立で多くの人が亡くなりました。
- 🕯️ 1948年・暗殺宗教間の和解を訴え続けたガンディーは、ヒンドゥー教徒の過激派の男に暗殺されました。
映画は、ガンディーの葬儀の場面から始まり、南アフリカでの若き日にさかのぼります。
インドに帰ったガンディーは、質素な服をまとい、人々とともに暮らしながら、非暴力でイギリスの支配に抵抗する運動を広げていきます。
逮捕、断食、塩の行進。そして独立と、その後の対立。ひとりの人間の信念が、国の歴史を動かしていく姿が描かれます。
- ① 不正には従わないおかしな法律や命令には、はっきり「従わない」と行動で示します。
- ② 暴力は使わない相手に暴力をふるわれても、やり返しません。
- ③ 罰は受け入れる逮捕されても逃げず、正面から受け止めることで、不正を多くの人に見せます。
無抵抗の人々が暴力を受ける様子が世界に伝わると、支配する側の「正しさ」が揺らぎます。非暴力は、世界の世論を味方につける方法でもありました。
イギリスの俳優・監督。『ジュラシック・パーク』のハモンド役でも知られます。ガンディーの伝記映画を実現させるために、約20年かけて準備を進めたといわれます。アカデミー賞では作品賞・監督賞など8部門を受賞しました。
青年期から晩年までのガンディーを演じ、アカデミー主演男優賞を受賞。特集第4回『シンドラーのリスト』では、会計係シュテルンを演じています。
葬儀の場面には30万人以上のエキストラが参加したとされ、「最も多くのエキストラが出演した映画」としてギネス世界記録にも登録されています。
非暴力は、ときに「弱い」「甘い」と言われます。けれど映画を見ると、殴られても前に進み続けることが、どれほどの勇気を必要とするかがわかります。
- 🌍 世界への広がりガンディーの考え方は、アメリカの公民権運動を導いたキング牧師などにも大きな影響を与えました。
- ⚖️ 限界と課題一方で、独立後の宗教対立や、多くの犠牲を防ぎきれなかったことも描かれます。
➡ 「非暴力なら何でも解決する」でも「暴力しかない」でもなく、その力と難しさの両方を考えてみましょう。
🌱 今日のまとめ
武器を持たない人々が、ひとつの国の歴史を動かしました。
- インドはイギリスの植民地で、ガンディーは独立運動を導いた。
- 非暴力・不服従は「何もしない」ではなく、勇気ある行動。
- その考え方は、キング牧師など世界の運動に影響を与えた。
- 非暴力の力と、その難しさの両方を考えよう。
ガンディーの名前の前につく「マハトマ」は、本名ではなく「偉大な魂」という意味の尊称です。本名はモーハンダース・カラムチャンド・ガンディーといいます。